講師・教室紹介

教室紹介

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戸高 礼司とだか れいじ

プロフィール塾長 大学卒業後国内IT商社、欧州企業アジア代表職等を歴任。様々な貿易実務を約20年間経験。 自身の中3最初の偏差値から、塾のコンセプトを”偏差値37 からの挑戦”と設定。勉強は”適切な戻り学習” で出来る様になります。この塾は勉強のやり方が分からない お子さんが、分かるようになる為の塾です。その為の様々な コースがあります。

チャイルドコーチングアドバイザー有資格者  都立高校教務補佐員(非常勤)(英国数) 通訳業務として横田基地勤務経験 某大手塾講師経験有り 趣味、熱血指導

私はこんな感じです。

教室はこんな感じです。
みんな苦手な英語のリスニングの授業風景です。

塾らしくないですね。と親御さんから言われます。オープンカフェの様なリラックスできる雰囲気を
作りたいと考えています。

ついに導入!ウオーターサーバーです。これでココアや紅茶、味噌汁が飲み放題です。
お腹がすく子達に大人気です(マイカップを置いてもらっています)

 

 

秋川通信スクール開設にあたり

当塾の通信スクールのコンセプトとしましては

学校へ行けなくなってしまった子供たちに学びを提供する。

その子供達がいつでも学校に戻ってもやっていける様に学力をつける 

生きる力を身につけさせる 

という3つのコンセプトを立てました。これにそって運営を行います。

主任講師の村上先生は現代版の太っ腹かあちゃんです。人生経験もかなりある方です。  子供たちに必要な事はどんどん話してくれると思っています。

お困りの親御様、そして子供たちからのご連絡をお待ちしております。

塾長 戸高 礼司

主任講師紹介 

村上 裕子(むらかみ ひろこ) 北海道札幌市出身

北星学園大学短期大学部英文学科卒業後、札幌空港のグランドスタッフとして勤務。

国内外を問わず様々なお客様とのコミニケーションの中で多様な価値観を知ると同時に航空業界に関する知識を習得。
子どもの心の発達や問題、心のケアなどに関する心理学を学ぶため、仕事を継続しながら武蔵野大学通信教育部を卒業。

その後、カナダKing George International College に留学。TESOL及びTESOL for Children (英語教授法の資格)を取得後、国内大手英会話教室にて幼児から高校生に英会話やフォニックス、文法

などの講座を担当。

あきる野市戸倉在住

 

 

担当講師からの一言

はじめまして、村上裕子と申します。 それぞれ学校に行きたくない、行けないには理由があるはずです。 そして、何らかの悩みや不安があれば、目の前にやらなければならない事があっても、それに取り組もうという気持ちになれなかったり、集中出来なくて投げ出したくなったりするものだと思います。 生徒さんにとって自分の居場所となり、心の不安などを取り除きながら学んでいける環境を作っていきたいと考えています。 最終的には自分の興味や目標を見つけ、それぞれにすすむべき道を見つけられるように一緒に頑張っていきましょう。

 

詳細

 

対象者  なんらかの理由で学校に通学していないお子様 小1-中3生

通信ですので、現在東京中の生徒が参加しております。

小学生  8,000円 

中学生  8,000円

内容

将来的に学校に通えるようにする事、を目的のうちのひとつとなっております。勉強の遅れを取り戻す事が主な内容となります。その為、中学生でも小学生の内容を教える事も出てくるかと思います。内容は各学校に報告し、通学扱いになるように学校への報告も行います。時間はその生徒のやる気などを考慮して幅を持たせております。

中3生には高校受験を目指した学習指導も行います。

 

チャレンジ学習塾

 

〒197-0804
東京都あきる野市秋川1-1-13 303

042-533-3963

 

 

 

塾長からのメッセージ

私が高校受験生だった時の話です。 

中3の6月時点まではかなり低学力で、偏差値が35程度でした。

すっごいはしょりますが、いろんな理由から偏差値60前後もある高校を目指して、

猛勉強の末に滑り込みで合格してしまいました。これがすべての始まりだったんです。。。

こちらは”にわか”勉強で滑り込み合格の身ですので、

周りは結構頭がよろしい仲間ばっかりで。。

高校1年の冬には、”この学校、いつか辞めねばなるまい。。。”

とか思っておりました。勉強しても、しても、届かない!

そして部活も9年間やった野球部ではなくて、なぜかバレー部に入部!。。。

今考えれば暗黒の時代だったかも。。。

そこで私は自己逃避を考えました。

そうだ、アメリカに行こう。(なんでやねん)

そういえば私は留学したいが為に中3の時に猛勉強したんだった。

という事をおもいだしたのでした。。。マジあとづけもいいところです。

しかし自己逃避でもなんでもええわ。とにかくこの学校にずっとおるのはやばい。

そんな気持ちでした。

しかし、いくと決めれば猪突猛進な私。そこからアルバイトを必死で

やって、時給680円の時代で8ヶ月で100万円貯めました。

そして交換留学の試験もみごと合格。留学斡旋会社にも自分で行き、全て

決めました。貯めた100万円を振り込む際には手が震えましたよ。今では良い想い出です。

16歳でしたから。

すべてやったあと親に事後相談。

おやじは、予想とおり、”そこまでやったなら好きにしろ”でしたが

”おかんを説得しろ” という条件つきでした。

それから

3日3晩おかんと話し合いました。その当時、アメリカでハロウイーン

の際に留学生が射殺された事件が起こったすぐでした。

おかんは”あんた死んだらどうすんの”の一点張り。

私は”しなへんって”の繰り返し。話は進まないし、どうにか説得

しなければいけない最終日の夜。

私は、”おかんもしぬかもしれんやろ”という最終兵器を

最終最後に出してしまいました。

実はおかんはその時乳がんの手術が終わったばっかりでした。

それは絶対言わないでおこう、と最初に決めていたセリフでした。おかんはため息をつきました。

命のやりとりをその時おかんとやったんだと思います。

留学中は常にその夜のことが頭にありました。あれから20年以上たちますか。おかんも私も存命です。

アメリカでは学校から帰ってから毎日2時3時ぐらいまで勉強してました。

一生で一番勉強しましたね。あんなに勉強するのはもういやです。笑。

それで一年して日本の高校に戻ってきました。高校3年の夏でした。

アメリカ当時の単位は全て日本の単位に変換してくれました。

そしたらなんと卒業の際には学年総代になっておりました。。。

学年を代表して卒業式には答辞をよむという栄誉も頂きました。

ビリっけつから学年総代、マンガみたいな話ですがホントです。

そんなジェットコースターのような高校生活でした。

私はこれまでの人生の約半分の20年間、海外に携わる仕事を

してきました。20代で世界一周とかもやった事あります。(出張ですよ)

しかし、いつからか自分で選んだこの地で根を張った生き方をしたいと考えるようになったんです。

それで私は人と接する事、話をするのがすきなので、子供たちを相手に塾をやろうと考えました。

けどこれまですっごい頭がよかった時期なんてあまりないです。(笑)

おもえば、いっつもだいたい中盤らへんが定位置、という人生、だったと思います。笑っ。

だけどそのおかげで勉強が嫌い、苦手なの子の気持ちはめちゃくちゃ理解できます。

私はその嫌いな勉強をやったからこそ、得られた人生が今あるな、と感謝して

おります。そんな私の人生経験を少しでも子供たちに還元できればな、

と考えてやってます。

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