中学生時代 偏差値37に泣く

中学生時代 偏差値37に泣く

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学生時代はほぼ勉強しませんでした。。。

中学時代は、生徒会長 応援団長 野球部キャプテンをやっていました。

 

中学3年の夏まで、“偏差値”という言葉の意味を知らずに過ごし、3夏の入塾テストで偏差値37をマーク(入塾時最下位)しました。自分の成績の悪さに中学生活で初めて愕然としました。

 

まあ頭は悪かったんだろうとおもっていましたがそれを苦に思う事は少しもなく親も理髪店を営んでおり忙しく、だれも私の成績をとやかくいう人間はいませんでした。

 

多分親も、私が就職でもしてくれたり、自分の散髪屋を継ぐとか言い出したらめっけもん、ぐらいに思っていた節があります。人生で親から勉強をしろ、と言われた事は小学校二年生の時に“よい”が20個中3つか4つだけだった時に母親にめちゃくちゃ怒られた時だけです。

 

受験を目の前にして立ちはだかったのは偏差値の壁と自分の学力の無さでした。

そして何より、自分が思う高校ではなく、“ここしかあなたは行けませんから”と告げられた時の目の前が真っ暗になったあの感覚はこれからの人生を考えたうえでとても衝撃的でした。

 

私は悩みました。なぜならば、そのままの生活をしていれば間違いなく次の春には“ここにしか行けない”と言われた高校に通う事になります。

 

その高校が悪いのではなく、選択肢がそこしかない、というなんというか窮屈な感じ。それはいまでも忘れません。そしてもう一つ私を悩ませたのが、勉強をする方法をしらない、そしてどうしても勉強が面白く感じられない、という事が私の中にあり、どうやったら成績が良くなるか全くわかりませんでした。

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